別に乱文調でなくてもね。
父親の部屋を漁るといろいろ面白いんですね。若いころの女性との手紙とか、40年前の交換日記とか少し残っていて。
考えてみれば。
たとえば40年前の彼は交換日記をしているけど、現在の私はブログをしていて。
たとえば40年前の彼はエデンの東を見たけど、現在の私は東のエデンを見たり。
たとえば40年前の彼はイラストを書き記すけど、現在の私も似たようなもので。
それは歪んだアナロジーなのか、何なのか。自分では時代の流れに応じて大衆化したと思っております。
低俗化とまでは言いませんが。
あの人の書棚を見れば、奥の方にはラヴクラフト夢野久作海野十三小栗虫太郎だったり。
あるいはトマス・ハリスだったり、ジョン・アーヴィングだったり澁澤龍彥だったり種村季弘なわけです。
漫画は大友克洋吾妻ひでおで。
自分が気づかぬうちに、何か同じような道を少し歩んでいたことを知ったり。
こう何か自分の低層に彼と同調する部分があることを、今までわりと無意識下で否定していたわけです。
あるいは陶酔かも。その原因は彼みたいになってはいけないという強迫観念や。
お前はいっちょまえに深層意識なんかを持っているのかーという自己卑下なわけでしたが。
でも私も一応成人に近づく中で、そういうものに立ち向かわにゃなーということで。
まあありのままに彼を視認することも、消化することも、必要かとね。
むろん彼と自分とでは異なるところも多々あるわけですが。字が綺麗だったり、手先が器用だったり。
氷と永を間違えてたり。今の年齢ではどうやら女性と多々交流もあったようで。何かいろいろ畜生な気持ちです。
けど、母親曰く、交際した女性の一人は……自殺なさったとか、何とか。
うむむ。